お話をもとに戻しますと、トルコ帝国は、1920年8月に連合国とセーブル条約を結び、中近東の地の支配権をイギリスとフランスに譲ることになりました。そうして、パレスチナもまた、イギリスの委任統治領となったのです。
ところで、この条約は、当然にアラブ諸民族の反感を買うことになり、各地に反乱が発生することになりました。そこで、連合国は、翌年の1921年にカイロ会議を開催し、委任統治領と枠組みの中で、イラク王位をファイサルに認めるとともに、トランス・ヨルダンの王位を兄弟のアッブドーラに与えたのです。なお、シリアとレバノンは、そのまま、フランスの委任統治下に置かれることになりました。
パレスチナを含めた中近東の政治模様は、この時期に形成されたのね、とまあちゃまはあらためて、中近東の地図を眺めてみるのでした。