最初の約束。これは、1915年に、アラブ系の人々の盟主、すなわち、メッカのシャリフであったフサインと、イギリスのエジプト高等弁務官であったマクマホンとの間に交わされました。書簡を通して結ばれた約束の内容とは、戦争協力と引き換えに、戦後のアラブ諸国の独立を承認する、というものでした(フサイン・マクマホン協定)。
第二の約束は、1916年6月に、ロシアおよびフランスとの間で結ばれました。これは、サイクス=ピコ協定と呼ばれた秘密条約でした。この合意によりますと、戦後は、中近東一帯は、イギリスとフランスとの間に分割され、パレスチナは、国際管理下に置かれることとされました。
そうして、第三の約束が、ユダヤ人の人々との間も結ばれました。1917年、イギリスの外相バルフォアは、祖国を持つことを悲願としてきたシオニストの人々に対して、パレスチナにおける国家建設を支持することを宣言したのです(バルフォア宣言)。
こうして、パレスチナは、三重の約束を抱えることになったのです。
この後、どうなるのかしら、とまあちゃまは、続きをはやく知りたいなあ、と思うのでした。
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