しかしながら、アラブの人々の喜びもつかのまでした。
何故ならば、イギリスは、バルフォア宣言によって、ユダヤ人の人々に対してもパレスチナの地における”ナショナル・ホーム”の建設を約束したのですから(1917年)。国家という表現こそされていませんが、この”ナショナル・ホーム”は、広範な自治権をもつ政治的枠組みであることは、明らかでした。
こうして、パレスチナをめぐって、アラブ人とユダヤ人が反目する土壌ができてしまいました。そうして、その後、この問題は、さらに尾を引いてゆくことになるのです。
もしかしたら、この問題は、さらに複雑化していくのかしら、とまあちゃまは、心配です。
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