ところで、第一次世界大戦の当時国であり、かつ、サイクス=ピコ条約の締約国でもあったロシアは、どうなったのでしょうか。
実は、ロシアでは、1917年に三月革命と十一月革命が相次いで発生し、ロシア帝国が崩壊し、ソヴィエト政権が成立していたのです。翌年の1918年には、同盟国側とブレスト=リトフスク条約を結んで、単独講和を行いました(連合国から離脱)。結局、共産主義革命の指導者であったレーニンは、第二次世界大戦を資本主義国の帝国主義的覇権争いとみなしていたため、サイクス=ピコ条約を非難し、パリ講和条約にも当然参加していません。ここで一端、ロシアは、中近東の地域からは退くことになります。と言いますよりも、内乱や諸外国によるシベリア出兵などが発生し、中東地域に関わる余裕はなかったのです。
ロシア革命の発生は、中近東におけるロシア勢力の後退を意味したのね、とまあちゃまは、複雑な国際情勢の変化に再び驚くのでした。
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