それでは、何故、イギリスやフランスは、十四カ条に反対したのでしょうか。
第一次世界大戦においてトルコ帝国は、同盟国側で闘いました。その結果、トルコの地に連合国側が進攻することになり、シリアやイラクなどは、アラブ諸民族の協力の下でイギリス軍に占領されることになります。しかも、1918年11月には、残されたアナトリア南部も、イギリス、フランス、アメリカ、イタリアの連合国軍によって占領されます。そうして、これを好機と見たギリシャもまた、トルコ帝国の重要都市であったイズミールを押さえるのです。こうした中で、トルコ帝国内部のギリシャ人、アルメニア人、そうしてクルド人の民族独立運動を活発化させます。もしかしますと、クルド人に独立の機会があったとしましたら、この時であったかもしれません。少なくとも、パリ講和会議の時点において、トルコ帝国の領域の多くは、連合国側の支配に置かれていたのです。
第一次世界大戦は、オーストリア帝国とトルコ帝国という、西と東の二大帝国を崩壊させることになったのね、とまあちゃまは、激動の時代に思いをはせるのでした。
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