それでは、オスマン・トルコ帝国の支配下にあったパレスチナはどのような状況にあったのでしょうか?
パレスチナの地に自らの民族国家を建国することを誓ったシオニストの人々は、まずは、パレスチナの支配者であったトルコのスルタンに対して、移民の許可を求めることになります(1899年)。この時から、ユダヤ人の移住がはじまるのです。ところで、この移住以前にあっては、パレスチナの住民の大多数は、イスラム教徒でもあるアラブ系の人々でした。もとからパレスチナに住んでいたユダヤ人の数は、2万5千人程度であったと言われています。つまり、多数のイスラム教徒、少数のユダヤ教徒とキリスト教徒が共存する場所であったのです。
パレスチナの歴史は、とっても複雑そうね、とまあちゃまは、これからどのようになるのかしら、と、次なる展開を想像してみます。