エジプト革命の発生は、中東に再び紛争をもたらすことになりました。それは、先に述べましたように、大統領となったナセルが、1957年7月にスエズ運河の国有化を宣言したからです。
ナセルは、クーデターで政権を掌握しますと、スエズ運河会社の大株主であったイギリスに対して、スエズ運河地帯の返還を求めていました。しかしながら、イギリスは、この要求を拒み続けます。この間、自国の軍事力強化を目指したエジプトは、ソ連から大量に武器の供与を受けるようになるのです(1955年)。こうして、ついにナセルは、軍事力を背景に、スエズ運河国有化を宣言するのです。
この国有化宣言に対して、イギリスとフランスは自らの権益に対する重大なる挑戦と見なします。そうして、エジプトでの軍事行動を決意するのですが、このとき、イスラエルも、参加することになるのです。こうして、イギリス、フランス、イスラエルの三国は、エジプトへ出兵し、スエズ運河地帯を占領することになります。イスラエルが軍事行動に参加した理由とは、第一次中東戦争で敗北はしたエジプトが、再起してイスラエルの軍事的脅威となることを防ぐことでした。
中東紛争は、スエズ運河をめぐる紛争に発展したのね、とまあちゃまは、驚くのでした。