奇襲を受けたイスラエル側は、まさかエジプトとシリアが攻撃してくるとは予測していなかったと言われています。
アラブ側の計画を察知したイスラエル情報部員の報告も、アラブ側の陽動作戦であると判断しましたし、サダトがソ連の軍事顧問大を追放したことも、アラブ側の戦意の低下と見ていました(もしかしますと、これも、大石内蔵助がとったような”油断作戦”であったかもしれません・・・)。また、第三次中東戦争に際してのイスラエルの奇襲攻撃が、国際的には非難を浴びたこともあり、再び、対抗上の奇襲作戦にでることにも及び腰になっていました。こうした事情から、戦争がはじまったときには、イスラエル軍は動員されていなかったのです。この結果、初戦において、イスラエルの先鋭の戦車部隊は、対戦車ミサイルを装備したアラブ歩兵隊に完敗することになりました。
第三次と第四次の中東戦争では、展開が反対になっているのね、と、まあちゃまは、戦争の連鎖性について考えてみるのでした。