パレスチナ・ゲリラの登場は、アラファトが、1969年にパレスチナ・解放機構(PLO)の議長に就任することによって、過激化してゆきます。
そもそも、PLOは、エジプトのナセルの主導のもとで1964年に設立された組織であって、必ずしも、パレスチナのアラブ人が独立を目指して自主的に組織したものではありませんでした。各地に散ったパレスチナ難民がそれぞれ小集団を形成し、それが合同したものがPLOでした。ファタハもまた、その中の一大派閥に過ぎませんでした。しかしながら、アラファトの議長就任は、PLOの性格を大きく変えることになったのです。つまり、組織的なゲリラ戦を展開する集団と化したのです。
今日のテロの始まりは、この時期のことだったのね、とまあちゃまは、テロと独立運動が結合することを残念に思うのでした。
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