カルト教団が大嫌いなものは、民主主義だけではありません。もっと嫌いなものがあります。それは、自由という価値です。
神様や仏様が、教団の教祖によって心を奴隷の状態とされたり、心身ともに支配を受けたりしている人々の姿をおよろびになるはずはありません。にもかかわらず、カルト教団は、神様や仏様の名を持ち出して、人々の心や行動を縛ろうとするのです。もちろん、人間の悪しき欲望や感情を、信仰心や理性で抑えることは大切です。しかしながら、カルト教団が、信者や自らの支配下にある人々に差し出すように求めているものは、政治、社会、経済、教育、学問といった信仰とは異なる領域における全ての自由なのです。
人間は、自由があってこそ、自らを成長させ、そうして、社会を発展させることができます。あらゆる困難を乗り越えてゆく力は、人間の心の自由にこそ宿っています。この自由を上手に使えるか使えないかは、一生懸命に、自らの判断力を磨かなくては備えることはできません。カルト教団の如く、教祖の意思に忠実に従えば良い、という全人格的な帰依を要求することは、他の人々に対して、より良き未来への扉を閉ざしてしまうことになるのです。
自由があってこそ、世の中は良くなってゆくのね!と、まあちゃまは、自由の価値をもう一度確認するのでした。