まあちゃまは、本当は、とての心配なのです。日本が、相互不信社会になってしまった原因のひとつには、宗教の原点から遠く離れてしまったカルト宗教があるように思えてならないからです。
信仰とは、時とともに、教義に共鳴する人々を集めて宗教集団をつくりあげるものです。そうこうしているうちに、神様や仏様の御心や本来の教義から離れて、教団を率いている人が、信者に対して大きな力を持ってしまうこともあります。教祖を中心として行動するようになった教団は、やがて、カルト集団と呼ばれる危険な存在に変貌してゆきます。人間が神様の立場にとって代わるのですから、これほど傲慢な行為はないのかもしれません。しかしながら、教祖の立場にある人にとっては、こんなに好都合な状況はないのです。なぜって、神様の権威を自分のために使えるのですから・・・。教祖の声は、神様の声となって信者を動かしてしまうのです。もしも、宗教的な権威をまとった教祖が、”テロをしなさい!”、”あの人の命を奪いなさい!”あるいは”家族や友人を裏切りなさい!”と命じたならば、信者は、迷うことなくこの言葉を実行に移すことでしょう。こうして、その教団は、結局、無慈悲なテロ集団になったり、悪魔的な犯罪集団になったりしてしまうのです。個人レベルのみなず、集団のレベルで、良心と倫理観の喪失が起きてしまうのですから、こんなに恐ろしいことはありません。悲しいことに、日本国では、現実問題として、良心のブレーキが外れたカルト宗教がからんむ事件が多発しているのです。
なんて恐ろしいことかしら!早く信者の人たちが気づけば良いのに!と、まあちゃまの心配はつのります。・・・
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