2001年に、イスラエルの政権は、労働党バラク政権からリクードシャロン政権へと交代しますが、その背景には、アリエル・シャロン氏その人が深くかかわっていました。
それは、2000年9月に発生したパレスチナとの大衝突の原因が、シャロン氏の行動にあったからです。バラク政権では、中東和平は前進する気配がありましたが、こうした中で、シャロン氏は、イスラム教の聖地でもある東イスラエルの神殿の丘を、武装した1000人の側近を引き連れて訪問し、イエルサレム全領域の領有宣言を行います。当然、この宣言に対してパレスチナ側は激しく反発し、第二次インティファーダが発生することになるのです。
イスラエルの内情を見ると、まるで分裂状態のようね、とまあちゃまは、溜息をつくのでした。