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さて、労働党のバラク政権において、新ワイ合意が締結されましたが、バラク政権は、この後、2000年に9月に、大規模なパレスチナとの衝突に直面することになりました。
結局、2001年3月の総選挙では、労働党は下野し、シャロンを首相とするリクード政権が再び登場することになります。つまり、再び、イスラエルでは、極右政権が誕生することになるのです。
イスラエルでは、めまぐるしく政権が交代するのね、とまあちゃまは、状況の変化の早さに驚くのでした。
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