市民活動家と呼ばれる人々は、軍隊や警察といった公的機関が行使する力を”暴力”と呼んで、しばしば糾弾します。 このため、これまでの平和教育というものは、政府断罪型でした
しかしながら、人々の生命、身体、財産にとって日常的な脅威となるのは、むしろ、私人の間の暴力である場合が多いのです。メディアで報道される事件の多くは、私的な領域のものです。
日常における安全を築くためには、個々人の間の暴力をできるだけ防ぐ教育を行ってゆく必要あります。そうして、このことは、ある人が、罪のない他者の生命、身体、財産を一方的に侵害した場合には、公的な力が行使されることを認めるべきことを意味しているのです。
政府による力の行使は、それが、公正で正義にかなっている限り、必要なものなのね、とまあちゃまは思うのです。