テロリストの欲望とは、あまりに独善的です。自らの行為の中に、れっきとした”悪”が潜んでいることにも気付かずに、自分達だけが、神様の意に沿うものであるとうぬぼれているのですから。
イスラム教のコーランにおける聖戦(ジハード)は、一般的には、”イスラム教の敵となる異教徒と戦うこと”と理解されていますが、最大のジハードとは、自分自身との闘いであると聞きます。おそらく、このように書かれた理由は、自分自身の心の中にある利己的な欲望、驕り、傲慢こそが、最もやっかいで克服するのが難しい信仰の”敵”と考えられたからなのでしょう。”聖戦”という言葉を持って、罪のない他者を殺害しているテロリスト達こそ、最大の敵がおのれ自身であることに気付くべきなのかもしれません。
テロリスト達は、本物の聖戦の意味を知るべきなのね、とまあちゃまは、思うのでした。