予想通りに、PLOのレバノンにおける活動は、レバノンに内戦をもたらすことになりました。PLOは、レバノン内のイスラム教徒と手を結ぶことによって、親PLO政権の樹立をめざし、キリスト教を政権から追い出そうとしたのです。
こうなりますと、キリスト教徒の反発を招き、内乱となるのは必至です。1975年、終に内乱がはじまり、スラム教徒側が優位に戦いを展開します。ところが、このとき、突然に、シリアが内乱に介入してくることになります。ヨルダン内戦の時には、シリアは、PLOに味方したのですが、今度は、キリスト教徒の側に立って、隣国のレバノンに軍を派遣したのです。当時のシリアの大統領は、アサドという人物で、”ダマスカスのスフィンクス”とあだ名されていたと言います。つまり、沈思黙考して策略をめぐらす知恵者、とでも言いましょうか。アサド大統領は、隣国のレバノンが、イスラエル攻撃のためのPLOの拠点となり、自国もまた、戦争の危機にさらされることを回避したかったのです。この意味において、シリアもまた、アラブの大義よりも、国益に軸足をシフトさせたと言えましょう。
中東情勢は、”複雑怪奇”なのね、とまあちゃまは、めまぐるしく変わる合従連衡に驚くのでした。