エジプトは、第一次中東戦争以来、アラブの盟主として振る舞ってきました。カリスマ的なナセルは、アラブの英雄でもあり、汎アラブ主義は、解消されつつも、アラブ連合をも生み出しました。しかしながら、サダト政権が成立する頃になると、この立場は、エジプトという国の国益と間に重大な亀裂が生じるようになるのです。
サダト大統領は、就任早々に、国名をアラブ連合からエジプトに戻しています。この国名の変更は、エジプトの立場の変化を象徴していたかもしれません。他の湾岸諸国とは違って、エジプトは、石油産出国ではありませんでした。このことは、たとえアラブ諸国からの財政支援があったとしても、アラブの盟主であり続けることの負担を、もはや、エジプトは負いきれなくなったことをも意味していました。また、軍事行動に伴う多数の兵士の死傷は、国民の痛みとなっていました。こうして、エジプトは、アラブの大義と国益との間の板挟みとなり、終に、アラブの大義を下して、国益を守ることを決断することとなったのです。
エジプトにとっては、苦渋の選択だったのね、とまあちゃまは、この成行きに抗いがたい時代の流れを感じるのでした。
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