アラブの足並みは、イランで起きた革命によって、さらに乱れることになりました。
イランは、1953年に首相のモサデクを追い出して、パーレヴィー2世が親政を行うようになっていました。パーレヴィー国王の下では、「白色革命」と呼ばれた近代化が進められるとともに、対外政策としては、親米路線を歩んでいました。しかしながら、70年代にいたって、石油収入から国庫が豊かとなると、国王は、この収益を軍事費の拡大や王家や取り巻きに優先的に配分するようになりました。このため、国民の多くが、パーレヴィー国王の政治に対して不満を抱くようになり、イスラム原理主義による改革を求めるようになったのです。1978年頃から革命運動は広がり、ついに79年1月に、パーレヴィー国王は、亡命を余儀なくされました。こうして、イスラム原理主義の指導者であったホメイニ師がフランスから帰国し、同年2月には、イラン=イスラム共和国が成立することになったのです。
イラン情勢の変化も、パレスチナにも影響してゆくことになりそうね、とまあちゃまは思うのでした。
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