こうして、第一次世界大戦後、中近東一帯は、イギリスとフランスの勢力圏に組み込まれることになりました。つまり、トルコ帝国の支配から、連合国諸国の支配へと大きく変化したのです。そうして、アラビア半島のサウジアラビア、オマーン、イエメンなどもこの時までにはイギリスの勢力範囲となっていましたし、、イラクに隣接するイランもまた、イギリス軍が進駐する一幕もあったのです(保障占領)。
ところで、トルコ帝国の版図を大きく縮小する事態をもたらしたセーブル条約対して、トルコ帝国内部でも、ケマル=パシャを指導者として反政府運動が発生していました。ケマル=パシャは、東部内陸にあるアンカラに独自の臨時政府を設立し、イスタンブールの政権に対抗していたのです。この運動は、やがて、トルコ革命へと発展することになります(1922年)。
第一次世界大戦は、中近東の地図を塗り替えたのね、とまあちゃまは、またまたびっくりです。
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