こうして、一端は、中近東全域は、イギリスとフランスの勢力圏に分割されたのですが、すぐにこの状況にほころびの兆しが見られるようになります。
それは、最初、イラクの独立とネジト首長国(後のサウジアラビア)の建国という形で現われます。イラクは、1921年、ファイサル国王の下でイギリスからの独立を達成します。もちろん、連合国による線引き自体が人工的でしたので、イラクの領域には、クルド人など、多民族が含まれることになります。一方、ネジト首長国は、イブン・サウード(18世紀、ネジト地方の豪族が祖先)が、1921年に建国します。そうして、その後、1926年には、メッカにあってフサインをカリフに戴いていたヒジャーズ王国をに攻撃して、ネジト首長国をヒジャード・ネジト王国とするのです(1932年、国名をサウジアラビアに改称)。
とうとう、アラブ諸国が、独立国としての歩み始めるのね、でも、パレスチナはどうなるのかしら、とまあちゃまは、疑問に思うのでした。
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