雄略5年の461年を過ぎてしまう問題は、仁徳紀だけではありません。そこで、応神元年から雄略5年までの紀年数を確認してみましょう。
応神紀の紀年数は41、空位年数は2、仁徳紀の紀年数は87、履中紀の紀年数は6、反正紀の紀年数は5、空位年数は1、允恭紀の紀年数は42、そして、雄略5年までの雄略紀の紀年数は5、これを全部足しますと、以下の式に示しましたように192となります。
41+2+87+6+5+1+42+5=192
応神元年から雄略5年までの全ての紀年数は192であることになります。
あれあれ、これはとってもへんだわ!
応神元年が390年で、雄略5年が461年ですので、この間に実際に経過した年数は72年であることは以前にお話しました。
応神元年から雄略5年までの紀年数は192で、実際に経過した年数は72年。そうしますと、なんとなんと、120年分の紀年数が、実際に経過した年数に加えられていることになるではありませんか。
192-72=120
ここで、またまた、「120」という数字が出てきたのでありました。いよいよ「120」の謎は深まるばかりです。
続きは明日ね♡