神功紀は、3世紀を扱っているのでしょうか。それとも、4世紀を扱っているのでしょうか。
この問題は、江戸時代に日本書紀が板本として刊行されてからというもの、国学者や儒者をはじめとして、多くの賢学たちを悩ませ続けてきました。
学界は、3世紀説論者と4世紀説論者とに2分してしまった、といっても過言ではないでしょう。
日本古代史研究は、多くの部分を日本書紀に拠っているのですから、神功紀の位置づけが1世紀もズレてしまうことは、大問題です。3世紀説と4世紀説のどちらに拠るのかによって、再構築されてくる古代史象が異なってしまうからです。
3世紀説は、神武元年を紀元前660年に、持統11年を697年に据えた日本書紀の編年のとおりに、神功紀を位置づけるべき、とする人々によって、おもに唱えられました。神功紀は、西暦201年から269年までを扱っているという説です。明治時代の紀年論争では、水戸光圀監修の大日本史の編纂過程で形成され、皇国史観にも影響のあった水戸学派などが、3世紀説を支持しました。
続きは明日ね♡
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