神功紀をめぐる3世紀説と4世紀説の間には、120年のズレがあるという問題に気付いた本居宣長は、どうも、4世紀と考えたほうが正しいのではないか、と考えて、”日本書紀よりも古事記のほうが、信頼が置ける”と、古事記研究に没頭するようになってゆきます。
宣長は、こうした動機から、あの大著『古事記伝』を執筆したくらいですので、120年問題が、日本書紀研究において、いかに大きな影響があったのかが、わかります。
明治時代となっても紀年論争において、120年問題は、もちろん重要な論争点となりました。
そして、那珂通世博士によって、”神功紀は、史実としては、4世紀を扱っているものの、日本書紀の編纂者が、年数を引き延ばすために、干支2運(2×6=120)年代を遡らせて3世紀に位置づけた”という考えが、提唱されるようになったのでありました。
続きは明日ね♡
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