刑罰の判断に際して重視されるのは、事実としての”行為”のみではありません。客観的な”結果”もまた、刑罰の重さに影響を与えます。近代の法律にあっては、未遂であっても刑罰の対象となる場合があります。
そうして、最も軽視されているようで難しいのが、”動機”です。刑法学では、19世紀以来、主観的刑法理論と客観的刑法理論が長いこと対立してきました。主観的刑法学理論は、犯人の意思を犯罪の原因として重視する立場です。一方で、客観的刑法学では、事実としての行為に重点が置かれています。現代の刑法学は、どちらか一方に偏るということはなくなったようですが、”動機”もまた、刑罰を科すに際して、考慮すべき判断基準となるようなのです。
そうは言いましても、”動機”は、完全に心の中のことですので、行為や結果よりも見極めることが難しそうです。悪意から犯罪を行ったのか、良心から出て誤って犯罪となってしまったのか、本当のところは、本人にしか分からないのです。
何はともあれ、 ”動機”の判断が最もむつかしそうね!、とまあちゃまは思いました。