宗教が悪い作用に転じてしまうのは、信者が、誤った信仰から犯罪者となってしまうケースのみではありません。それでは、他に、どのようなパターンがあるのでしょうか?
信仰とは、個人の心に宿るものですが、同じ信仰を持つ人々は、互いに寄り集まって宗教集団をつくりがちです。信仰が個人の内面にとどまることの方が、むしろ稀であるのかもしれません。そうして、この集団化ゆえに、宗教は、社会的な意味も持ってしまうのです。
このため、ある社会おいて、みなが同じ宗教を信じている場合には、宗教は、社会倫理の基礎となり、人々をまとめる力として働くことになります。これは、宗教のプラスの側面でもあるのですが、同一の宗教を基盤とした社会の中に違う宗教が誕生したり、あるいは、同じ宗教の中でも分派ができて、複数の宗派が並立してしまうような場合には、これは、極めて強力な社会的分裂・対立要因として働くことになります。
歴史をふりかえってみますと、宗教的内乱の例は枚挙にいとまがありません。現代という時代にあっても、イラクを舞台に、シーア派とスンニ派が互いに相手の宗派を武力で攻撃しています。全知全能の神様が、人間同士がお互いに殺戮しあうことなど許すはずがない、にもかかわらず・・・。こうした場合には、宗教は社会の破壊力として働き、宗教勢力は、互いに自らの宗教で人々の信仰心を独占しようとします。やがて、宗教は、人間の心を憎しみで満たし、人間を、他者の消滅を容赦なく目論む非道な存在にしてしまうのです。
もしかしたら、日本だって危ないのじゃないかしら?と、まあちゃまは、にわかに心配になってきました。・・・