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婚約解消計画を実行に移したシャロン首相は、その後、どのような運命が待っていたのでしょうか。
リクードの基本的な方針が、神の約束の地であるパレスチナ全域の保有であったことは、何度も述べました。シャロン首相は、このリクードの原則に反して中東和平を進めようとしたのですから、当然に、党内の強い反発と批判を受けることになります。この結果、シャロン首相は、党分裂の危機に立つことになるのです。
党内をまとめることは、対外交渉と同じくらい、とっても難しいことなのね、とまあちゃまは、思うのでした。
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