考えてみれば、シャロン首相が婚約解消計画を決断し、実行に移したことは不思議なことです。何故ならば、何と言っても、シャロン首相こそ、入植地や分離壁の建設に邁進した、当の本人なのですから。
この首相の方針転換には、さまざまな理由が挙げられています。その中で、最も説得力がある説明は、政情不安定なガザ地区のみを放棄し、ヨルダン川西岸の入植地のみを確保する、というものでした。ガザ地区では、パレスチナ住民の人口が増加傾向にあり、しかも、ハマスの拠点ともなっていたからです。実際に、この説を裏付けるように、婚約解消計画では、ガザの入植地からの全面撤退は表明されましたが、ヨルダン川西岸地区の入植地で撤退の対象となったのは、わずか、4か所にすぎなかったのです。
でも、そうすると、ヨルダン川西岸地区の入植地問題は、どうなるのかしら、とまあちゃまは、心配そうに行方を見守ります。
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