2004年には、もうひとつ波乱含みの展開を示唆する事件が起きていました。それは、これまで、入植政策と分離壁建設を推進してきたシャロン首相が、突如、その撤退を宣言したことです。
同年2月2日、シャロン首相は、制空権と制海権は保持するものの、ガザ地区のイスラエル軍の撤退と、21か所すべての入植地、ならびに、ヨルダン川西岸の一部の入植地の撤去を発表するのです。これは、婚約解消計画と呼ばれています。この計画は、実際に、翌年2005年8月15日と23日に実行に移されました。
まあ、どうして、シャロン首相は、変心したのかしら、とまあちゃまは、少しばかり首をかしげるのでした。
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