さて、80年代末からイスラエル側とパレスチナ側の歩み寄りへの兆候がようやく見られるようになったのですが、その最大の契機となるはずであったのは、中東和平国際会議でした。
中東和平交際会議とは、アメリカとソ連が主催者となって、スペインのマドリードで開かれる予定でした。先にも述べたように、PLOも、自らの代表として、この会議にアラファト氏を送り込む予定でした。しかしながら、PLOは、この会議への出席を拒否されてしまうのです。
せっかくの和平のチャンスなのに、PLOが出席しなくても大丈夫かしら、とまあちゃまは、心配です。
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