以上に述べてきたように、アラブの側は分裂状態にあり、到底、パレスチナの住民を支援できるような状況にはありませんでした。占領地は占領されたままでしたし、住民には、闘う武力も術もなかったのです。
こうした中で、1987年ごろから、イスラエルの占領地であるガザ地区で、素手で抗議活動をする人々が出現してきました。主たる手段は、占領に当たっているイスラエル兵に向かって、石を投げることでした。大変原始的な方法であったのですが、イスラエルは、この活動に手こずることになります。この抵抗運動は、インティファーダと呼ばれるようになり、やがて、ガザ地区のみならず、ヨルダン川西岸地区にも波及していくのです。
中東問題は、また、新たな局面を迎えたようね、とまあちゃまは、紛争の行く末を心配するのでした。
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