1980年9月22日、イラク軍は、突如、イランの空港に攻撃を加えます。ついに、イラン・イラク戦争が始まったのです。
両国の直接の戦争原因は、国境を流れるシャトル・ララブ川の水利権をめぐる争いでした。しかしながら、最も大きな要因は、大統領のフセインが、イラン革命の波が自国のシーア派に及ぶことを阻止しようしたためであったと言われています。先にも述べましたように、フセイン政権は、少数派のスンニ派を中核としていました。もし、多数派のシーア派が反乱を起こすようなことがあれば、自らの支配体制が崩壊するに違いない、とフセインは、考えたのでしょう。
イスラム教の国境を超えた宗派争いは、一国の出来事が、他国に飛び火する可能性があるのね、とまあちゃまは、紛争の要因をもう一つ見つけたのでした。
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