イスラム原理主義の思想家に、クトゥプという人物がいました。クトゥプは、1906年に、エジプトの富裕な農家に生まれ、カイロ大学付属の高等師範学校を卒業し教育省の官僚となった、いわば、エリートでした。西欧式の教育も受けましたし、アメリカに留学した経験さえありました。
クトゥプは、ナセル政権下にあって、反体制派の活動家として投獄され、後に、処刑されることになりますが、それは、彼の思想が、あまりに過激であったからです。どこが過激化と言いますと、武力闘争による社会変革を訴えたからです。これは、クトゥプの「ジャーヒリーヤ理論」として知られています。
過激な集団の結成の背後には、とかくに思想があるのよね、とまあちゃまは、不穏な空気を感じるのでした。
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