それでは、百歩譲って、全てのイスラム教徒の合意の上で、カリフ制が復活し、カリフも無事に選ばれたとしましょう。それでもまだ、カリフ制には問題が残ります。
何故ならば、カリフは、予言者ムハンマドの代理人にはなれても、主権者である神の代理人となるのは、はるかに難しいからです。カリフの述べる言葉は、本当に、神の言葉となるのでしょうか。ローマ法王でさえ、その発言が、常に全てのキリスト教信者に支持されているわけではありません。かつて、ローマ教皇は、”無誤謬宣言”を発したことがありましたが、この宣言は、当時でも批判を受けましたし、今では、否定されています。カリフの発言が絶対性を持つ保障は、どこにもないのです。
もし、カリフが、全知全能の神の言葉を伝える存在ならば、それは、絶対性を持つはずなのだけれども、もし、反対に、少しでも間違いがあったら、神の言葉ではないことが、証明されてしまうのだから、本当に、大丈夫なのかしら、とまあちゃまは、疑問に思えてしかたがありません。