それでは、今日から、お話を中東紛争に戻すことにしましょう。中東紛争は、スエズ紛争を機に、パレスチナの地を離れて、イスラエル対アラブ連合の様相を呈するようになりました。それでは、その後、この対立は、どのような展開を辿るのでしょうか。
エジプトは、1958年にシリアとイエメンと合邦してアラブ連合共和国を形成したものの、シリアとイエメンは、1961年に、この合邦から離脱します。シリアの離脱には、同年9月に発生したクーデターが影響しました。この合邦は、エジプト主導でしたし、政治的な合邦に、双方が満足することは、めったにはありません。そうして、この頃には、社会主義系のバース党の勢力が、イラクやシリアにおいて拡大しつつありました。バース党とは、1943年に、シリアで設立された政党で、アラブ復興社会主義党が正式名称です。この政党は、アラブの統一、社会主義および自由を党の綱領に掲げていましたが、為せリズムとは、対立していました。第三次中東戦争は、アラブの結束が緩んだ矢先に勃発します。
エジプトの盟主的な地位は、長くは続かなかったのね、とまあちゃまは、変化の激しさに中東問題の難しさを再確認するのでした。
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