この問題が難しいのは、何度も申しましたように、地球上の全てが同一の時代を共有してはいない、という、17世紀における同時代性の欠如があるからです。
確かに、当時の国際法にあっては、ヨーロッパ諸国が南米大陸を領有することは、合法的な行為でした。国家間関係を法で律するという仕組みは、ヨーロッパにおいて慣習的に編み出されたものです。この国際秩序における”法による支配”の体制は、今なお、それぞれの国家を保護しているのですが、こうした”法の支配”は、同時代性が欠如する場合には、複雑な様相を呈することになります。
何故ならば、ヨーロッパ諸国の17世紀は、国際法が整備される過程にありましたが、新大陸では、未だ無法状態であったからです。このことは、先住民の権利を考えた場合に、一つの矛盾を提起することになります。それは、当時の先住民の論理を持ちだしても、法的な権利を主張できなくなるということです(むしろ、力による征服や支配が横行していた・・・)。つまり、先住民の権利は、ヨーロッパを起源とする国際法によってこそ主張できるのであって、自らは、その基盤を持っていないのです。自らの権利の主張は、相手方の論理に頼らなければ不可能なのです(自らの論理に頼ると勝者による支配を認めることになる・・・)。しかも、民族自決の原則が定着を始めるのは、19世紀後半であって、17世紀は、まだまだそうした時代ではなかったのです。
国際法の成立と同時代性の欠如は、現代における先住民の独立の権利にどうかかわるのかしら、とまあちゃまは、さらに先を考えてみることにしました。
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