1947年2月、イギリスのベビン外相は、パレスチナ問題からイギリスが手を引くことを表明し、この問題の解決は国連の手に委ねることになりました。
この結果、同年5月に、国連パレスチナ問題特別委員会が設置され、解決のための決議案が作成されることになりました。この国連の決議案は、先にイギリスが作成した分割案を下敷きにして作成されましたが、当時の国際情勢と国家間の力関係が影響して、極めてユダヤ人に有利な内容を持つことになりました。第二次世界大戦で連合国が勝利をおさめたことは、枢軸国と協力関係にあったパレスチナのアラブ人よりもユダヤ人が優位に立つことを意味しましたし、また、連合国の中心国であったアメリカのユダヤ人のロビー活動は、アメリカの政府に、ユダヤ人有利の分割案を推進させる働きをすることになったのです。しかも、この分割案の作成に際して、アラブ人側の代表が意見を述べる機会は与えられず、一方的な線引きがなされたのです。
国連の分割案の作成に際して、両者の合意がなかったことは、きっと、後々問題を大きくするかもしれないわ、とまあちゃまは、心配です。
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