他のアラブ諸国とは違って、パレスチナがイギリスの委任統治領のままであった理由は、第一次世界大戦に際して、イギリスが、アラブ人とユダヤ人の両者に対して二重約束を行ったことによります。このため、どちらに帰属するのかをめぐり、両者は反目し合っていたのです。
しかもこの頃、ヨーロッパでは、ユダヤ人の状況に、大きな変化が起きていました。それは、ドイツにおいて、反ユダヤ主義を掲げるナチスが力を伸ばし、ユダヤ人排斥運動が広がりを見せてきたのです。ヒトラーは、第一次世界大戦の敗因は、ユダヤ人の裏切りにあると喧伝し、ユダヤ人を祖国の内なる敵とみなしたのです。1933年に、ヒトラーが独裁的な権力を掌握すると、1935年には、「ニュルンベルク法」を制定してユダヤ人迫害を合法化します。この結果、迫害をさけて、パレスチナに移住するユダヤ人の数もさらに増加することになるのです。
パレスチナ問題は、中近東のみならず、ヨーロッパの歴史とも結びついているのね、とまあちゃまは、問題の根の深さに溜息をつくのでした。
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