動機、行為、結果の間に善悪が混在する場合、裁判においては、行為>結果>動機の順にウェイト付をして、おおよそ有罪無罪の判断されます。しかしながら、問題の行いに対する法律がなかったり、法廷で先のウェイト付に異議が唱えられたりする場合には、泥沼の論争になることもあるのです。
たとえば、もしかしますと、国際法が十分には整備されていなかった第二次世界大戦までの戦争は、当事者間の論争が不毛となる要素をたくさんもっていました。ある国は、行為をもって相手国を断罪し、ある国は、動機や結果をもって自らを正当化することもあります。しかも、場面場面で、お互いの立場が入れ替わったりするのです。これが、二国間関係ではなく、多国間関係になりますと、もっと複雑になります。
本当は、歴史の評価は、とてもむつかしのね、とまあちゃまは、思うのです。
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