行為は善でありながら、動機と結果が実は悪というパターンは、最もやっかいです。なぜならば、裁判の判断基準において最も高いウェイト付がなされている行為が、善だからです。つまり、見た目は、善なのです。
このパターンは、よく詐欺、あるいは集団ですと陰謀とも呼ばれています。結果が善となる場合には、偽善ですまされるかもしれませんが、結果が悪ですと、必ず誰かが犠牲となってしまいます。行為が悪であることが”ばれ”ない限り、表向きは善を装っていますので、犯罪を立証することは極めて困難なのです。
それでは、どのようにしたらよいのでしょうか?これは、最も対処が難しい問題なのですが、詐欺や陰謀を犯罪として裁くには、”ばれ”る機会を増やすこと、つまり、社会の中のよどみや闇を払い、透明性を高めるようにすれば、少しは効果があるかもしれません。
人を騙したり、陰謀を仕掛けたりすることは、悪の中でも最も悪賢い方法なのね!とまあちゃまは、憤慨します。
コメント