邪馬台国はどこにあったかと云うことに関しては無数の論文や著書があらわされている。今さらと言う感もあるが、一つだけあまり議論されてこなかったことがある。それは、女王国が、「その道里を計るに、当に会稽東冶の東に在り」の一文である。どうして、測量もせずに道里を計ったかという点である。そこで拙者は会稽東冶は北極星の高さ、すなわち北緯より案じたものと推測する。すると会稽東冶は北緯29度付近である。これは日本では宮崎県の南となる。誤差を考えるとまあ宮崎県が女王国となる。もし、魏使が緯度を計っていたら、もうこれは決定的証拠となるのではないだろうか。考えようによっては計らない筈がない。序でにもう一つ。大宰府は後世に置かれているが、軍事上の要衝はまずその場所独りでには決ってくる。すると、伊都国は中心はやはり大宰府の地であろう。
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