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川崎で児童が虐殺されるという事件が起きた。犯人はその地の不良グループと言うことである。親に同志露だの学校の先生が問題だの色々な意見がある。先ずはこれは警察が解決しなければならない事件である。それではその児童は警察の保護を求めるべきではる。しかし、警察も二六時中監視することもできない事を被害者は知っているのでので、加害者の復讐を恐れて警察にも届けられない。拙者が思うに、唯一の手段は被害者を加害者の届かないところへ逃避させることであろう。こういう施設・制度を是非作って貰いたい。
地方選出議員の中にはあやしげな政治姿勢の人間がいる。中には国を売ろうとしているのかのような議員がいる。多分にそれらの議員は地元にならかの組織を持ちそれを地盤に選出されているのであろう。国民には議員として不適格と感じても地元から選出されてくるのでどうしようもない。国民が不適格と感じたらリコールできる制度が必要である。そうしないと親の地盤を受け継いだり、変な組織をバックにしたり、多分に奇妙な金で当選する議員を淘汰できない。
皇太子の誕生日に当たり、皇太子は先の戦争の歴史を学び、平和を願うというような発言があった。彼は明治維新より大東亜戦争に至る歴史を学び、理解しているのだろうか。女真国のが支那大陸を支配した清国をどのように理解しているのだろうか。日清日露戦争から満州事変対する歴史をどのように学んだのであろうか。平和平和というのは今では左翼〔この場合は売国奴と言った方が良いのだが〕唱え文句であることを理解しているのだろうか。祖父天皇が戦犯とされなかったのは所謂A級戦犯(単なる報復のため〕の人たちの犠牲によると思わなのだろうか?日本が真に平和であるための道を考えたことがあるのだろうか。この頃皇室の政治的発言が多すぎる。
河野洋平は自民党が右にゆかないか心配しているらしい。彼の行動は右や左での問題ではなく、売国の問題である。彼はどうして中国に国を売ろうとしているのか不思議である。外国旅行のおりに、たまたま台湾で一時着陸が行なわれたときに、中国に遠慮したのか阿ねったのか機外に出なかったといわれている。彼の頭には中国のご機嫌しかないとは全く不思議なことである。
国連の成り立ちは第二次大戦に戦勝した連合国が主体となって立ち上げたものである。連合国は独裁体制の打倒などをスローガンに結束しているとしている。しかし、スタ-リン独裁の旧ソ連、同じく独裁の蒋介石の国民党軍、真珠湾攻撃の復讐の米国、植民地利権確保の英国、フランスとオランダが主体で有り、そこには全く理念などというものはない。。戦いに勝ったからといって、そこに正義があったわけでもない。これらの国々が戦後に国連組織を初めても平和のために貢献できるわけはない。先ずはすぐに冷戦が始まり、国連一致して世界に貢献したわけでもない。現在でも有志連合と武力による侵略国が対立している。安保理は意見を一致させることができない。事務長はただオロオロするだけである。安保理は廃止し、国連はただ自国の意見を言うだけの場にすれば良い。民主主義国家のみの国連を作るべきである。
少なくとも、学者といわれる人がある論文を引用して自分の論文を書くときには、引用した論文の原文に当たり、その論文の内容を検討するのは当然のことである。原文に当たらずに引用してその論文を引用することを孫引きいって、学者としてはしてはいけないことである。所が、米国のマックグロウヒル社の教科書に、所謂慰安婦が強制動員されたという記事は中大の吉見教授の論文からの孫引きだと執筆者の准教授はいっている。この様なことを平気でいう准教授は学者として落第である。更に議論をしないなどとは全く論外の人物である。米国も落ちぶれたものである。
漢文の単語を仮名で繋いで行く仮名混じり文は実に便利だ。単語を拾って行くだけで大体の意味をつかめてしまう。他の外国文より早く意味を掴めてしまう。漢文も早く読めそうであるが、句読点がないし、時制もあやふやである。所が今日この頃はやたらとカタカナで書くのがはやっている。ワープロでも変換するときに真っ先カナブンが出てしまう例が多い。皆ある程度の漢字を知っているんであるから成るべく漢字を使おう。
今回の後藤さん事件に日本ユニセフの影を見るのは穿ち過ぎだろうか。前から日本ユニセフの寄付金の使途について色々と疑惑が報じられてきた。彼等は善意の塊のような顔をしてか可哀想の子供の映像を出して寄付金を募っているが、曾ての宣伝の映像は世界で飢えている子供といってやせ細った子供を出しているが、その子を抱いている母親は丸々と太っているのはどうしたことなのだろうか。後藤さんも戦火の下の悲惨な子供の報道に行ったように思える。スポンサーは日本ユニセフであり、今までの経緯をみると日本ユニセフの宣伝画像を撮るのが一つの目的であるように思える。もう一つの疑いは緒方貞子のが出てきたと共に後藤さんの報道が途絶えたことである。
不幸にも国策と国益が相反し、連合国と戦火を交えるに至ったのは真に残念至極であった。東亜の繁栄と秩序の確立を目指したが、戦いのみが起こり、その結果多くの被害と混乱を呼び起こ不し、その間米国・英国・オランダ諸国の植民地であった東南アジアも戦場となり、多くの戦渦がそれ等の地に及び多くの犠牲者を出した事は誠に遺憾なことであった。1945年に戦争は我が国の敗戦で終わったが、1951年のサンフランシスコ平和条約により、主たる連合国との間に友好関係を結ぶことが出来、昨日の敵は今日の友の関係を得ることができた。それより後は民主主義国家と友好関係を結び世界の繁栄に貢献する機会を我が国が得たのは幸いであった。終戦より70年の年に当たり、更に未来に向かってよりよい良い世界の実現に努力することを誓うものである。