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「ゆうちゃま。ちゃぽ。184に3を足したら187になったよ。ほかにもまだ足すの?」
「そうよ。ちゃぽちゃん。ほかにもまだ、足すのよ。」
「ゆうちゃま。何を足すの?」
「安康紀の次はね。ちゃぽちゃん。雄略紀があるのよ。」
「ゆうちゃま。雄略紀の紀年はいくつなの?」
「雄略天皇の紀年は23よ。でもね。ちゃぽちゃん。23ぜんぶ足すわけではないのよ。このうち、5を足すのよ。」
「えっ。どうして。ゆうちゃま。」
「ちゃぽちゃん。応神元年から允恭42年までのすべての紀年数の184に、安康紀の3年を足すと、いくつになるかしら。」
「ちゃぽ。えーと。えーと。184+3だよね。えーと。えーと。ちゃぽ。わかった。ゆうちゃま。187でしょ。」
「よくできました。ちゃぽちゃん。」
「じゃあ。安康紀の3年の積木を允恭紀の積木のうえに積んでもいいよね。」
「いいですよ。ちゃぽちゃん。」
「わーい。ちゃぽの積木。もっと高くなったみたい。」
「さて、さて。じゃあ。ちゃぽちゃん。応神元年から允恭42年までの紀年数は184年だったわよね。允恭紀の次には、安康紀があるのよ。」
「ゆうちゃま。それじゃあ。安康紀の紀年数も足すんだね。」
「そうよ。ちゃぽちゃん。安康紀の紀年数は3年よ。184年に3年を足すといくつになるかしら。ちゃぽちゃん。」
今日は、ゆうちゃまからのお知らせです。
ゆうちゃまの最新作が、今月16日に発売されました。
『救世観音像 封印の謎』というご本です。
法隆寺の夢殿の救世観音像は、とても謎に満ちた仏像です。
明治17年に開扉されるまで、封印という言葉にふさわしいように、ずっと長い間布に巻かれて厨子の中にあったのです。
本書では、救世観音像が、いつ、誰をモデルに造仏され、そして、なぜ、封印されたのか、その謎を解いてみました。ぜひぜひ、ご一読、ご批評いただきたく御願申し上げます。
倉西裕子 『救世観音像 封印の謎』 白水社 2007年。
ちゃぽちゃんは、応神元年から允恭42年までの紀年を積み木にして、積んでみました。ちゃぽちゃんは、これまでの積み木でお勉強をまとめてみました。
「積み木の数は、ぜんぶで7つで、このうち、天皇紀の積み木が5つで、空位年の積み木が2つだね。ゆうちゃま。」
「そうよ。ちゃぽちゃん。」
「そして、紀年数の合計は、天皇紀の紀年数が181年で、空位年の紀年が3年で、ぜんぶで、184年だよね。」
「えっへん。」
ちゃぽちゃんは、允恭紀の42年を積木にして、積んでみました。
「わーい。ちゃぽの積木。ずいぶん高くなったみたい。」
ちゃぽちゃんの積木は、応神紀の41年、空位年の2年、仁徳紀の87年、履中紀の6年、反正紀の5年、空位年の1年、允恭紀の42年が積まれて、ぜんぶで、184年になりました。
ちゃぽちゃんは、積木で日本書紀紀年法のお勉強です。
「じゃあ。ゆうちゃま。允恭紀の42年も、この積木と考えていいよね。」
「いいわよ。ちゃぽちゃん。」
「允恭紀の積木を、反正紀と允恭紀の間の1年の空位年の積木のうえに、積んでみるね。ちゃぽ。」
「ええと。応神元年から反正紀と允恭紀の間の1年の空位年までで、142年だったよね。ゆうちゃま。」
「そうよ。ちゃぽちゃん。142年に、允恭紀の42年を足すといくつになるかしら。ちゃぽちゃん。」
「ええと。ええと。ええと。うーん。142と42を足すと・・・。ええと。ちゃぽ。わかった。184年でしょ。ゆうちゃま。」
「そうよ。ちゃぽちゃん。よくできました。」
「ちゃぽちゃん。9月25日までのブログで、応神元年から反正紀と允恭紀の間の1年の空位年までの紀年を足したでしょ。ぜんぶで、いくつだったかしら」
「ええと。応神元年から応神41年までの41年と、空位年の2年と、仁徳紀の87年と、履中紀の6年と、反正紀の5年と、空位年の1年で、ぜんぶで、142年だったよね。」
「そのとおりよ。ちゃぽちゃん。」
「これに、さらに、允恭紀の紀年を足してみましょうね。」
「うん。ちゃぽ。」
「ゆうちゃま。ゆうちゃま。ちゃぽ、日本書紀紀年法って、とっても大きな課題であることがわかった。それで、ゆうちゃまは、どんなことを解いたの?」
「ゆうちゃまはね。神功元年から雄略5年までの間に、プラス・マイナス120年構想という構想があることと、応神元年から雄略5年までの間は、多列・並列構造になっていることを解明したのよ。」
「ちゃぽにも、その構想や構造わかるかな。」
「ちゃぽちゃん。前にお計算してたでしょ。たしか、応神紀から反正紀と允恭紀の間の1年の空位年までプラスしてたわよね。」
「うん。」
「このお計算は、プラス・マイナス120年構想や多列・並列構造に関係あるのよ。明日からは、お計算の続きをしましょうね。」