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さてさて、多列・並列構造がよくわからなくなってしまったちゃぽちゃん。
ちゃぽちゃんからの質問です。
「多列・並列構造って、どうなってるの?」
そこで、ゆうちゃまは、明日からは、日本書紀紀年法のお話に戻すことにしました。
続きは明日ね♡
日本書紀のお勉強を始めたちゃぽちゃんは、それからどうなったでしょうか?
ちゃぽちゃんにとっては、ゆうちゃまの多列並列構造は、少し、おむずだったようです。・・・
そこで、ちゃぽちゃんから一言!
「ちゃぽー」
さてさて、お勉強しなさいとおこられたちゃぽちゃん。
さっそく、ちゃぽちゃんも、日本書紀のお勉強をはじめることにしました。
ちゃぽちゃんからの一言。
「ちゃぽも、日本書紀のお勉強をはじめました。ちゃぽには、ちょっと、おむじゅかしら。」
今日は、仁徳列のまとめです。
仁徳列上では、3つの天皇紀の紀年に対応する実年代を求めることができます。具体的には、以下のようになります。
(1)仁徳紀
仁徳元(397)年~仁徳87(483)年
(2)履中紀
履中元(427)年~履中6(432)年
(3)反正紀
反正元(433)年~反正5(437)年
日本書紀のお話74(http://kuragaku.typepad.jp/yuko/2007/08/post_ce85.html)にて、仁徳紀、履中紀、反正紀の実年代を求めることができるような記述は無いと述べましたが、仁徳列があることによって、これらの3つの天皇紀の実年代は求めることができるようになっているのです。
それでは、その後、ちゃぽちゃんは、どうなったのでしょうか?ちゃぽちゃんは、ゆうちゃまに、”そんなこと言っていないで、お勉強したら?”とおこられてしまいました。
ここで、ちゃぽちゃんから一言
”ちゃぽー!”
ゆうちゃまの王子様を紹介してほしいというコメントをお寄せいただきました。
残念ながら、ゆうちゃまには、まだ、白馬に乗った王子様は現れていません。
そこで、ちゃぽちゃんからの一言。
「ゆうちゃまのおうじちゃまって、ちゃぽちゃんじゃだめかしら。」
今日も仁徳列のまとめです。
仁徳列上に紀年を求めることができる3つの天皇紀(仁徳紀・履中紀・反正紀)のうち、仁徳紀のみに、確定紀年と延長紀年の区別があります。
仁徳紀は、西暦397(仁徳元)年から西暦483(仁徳87)年までを扱っていますが、イラストで、黄色で表現した期間(西暦427~483年)が延長紀年となっています(水色の期間は確定紀年です)。
延長紀年が設定されていることから、仁徳天皇の古事記崩年干支の427年は、崩御ではなく譲位であると考えられます。
古事記崩年干支の本当の役割は、多列・並列構造を再現させることにあるようです。
さてさて、今日から日本書紀のお話に戻りましょう。
今日のお話は、「日本書紀のお話72」(8月14日)の続きで、仁徳列のまとめとなります。
仁徳列は、仁徳紀、履中紀、反正紀の3つの天皇紀のための年代列です。
『日本書紀』では、これらの3つの天皇紀には、海外資料と較べることで、実年代を求めることのできる記述が無いという特徴があります。
これらの天皇紀は、仁徳列という多列・並列構造を構成する4本の年代列のうちの一本である仁徳列上に、実年代を求めることができるのです。
今日は、ゆうちゃまのご本の紹介です。
ゆうちゃまは、日本史のお勉強が大好きな女の子です。
ブログの右の書籍案内でも紹介していますが、ゆうちゃまは、これまで、ご本を4冊、出版しています。
『日本書紀の真実 -紀年論を解く』(講談社選書メチエ 2003年)、『「記紀」はいかにして成立したか -「天」の史書と「地」の史書』(講談社選書メチエ 2004年)、『聖徳太子と法隆寺の謎 -交差する飛鳥時代と奈良時代』(平凡社 2005年)、『国宝・百済観音は誰なのか? -実在したモデルとその素顔』(小学館 2006年)です。
どれも、日本古代史の謎に迫ったものです。ぜひぜひ、読んでみてください。
今日は、ゆうちゃまのおかあさまの紹介です。
ゆうちゃまとまあちゃまのおかあさまは、近頃、奇妙な趣味に凝っています。
壊れたアンティークのお皿などを修理するという趣味です。
欠けたお皿やお茶碗などを漆と金粉で修繕するのです。
そうすると、お皿やお茶碗は、見違えるほど綺麗になります。
ゆうちゃまとまあちゃまは、これで、お皿やお茶碗を割っても安心ね♡と思うのでした。