多列・並列構造の謎を解く鍵は、「日本書紀のお話16」で、お話した古事記崩年干支にあります。
古事記は、第一代神武天皇から第三十三代推古天皇までの歴代天皇について扱っていますが、このうち15代についてのみ、分註に崩御された年代が、干支紀年法によって記されてあるのです。もう一度、記載しますと、
第十代崇神天皇が「戊寅」、第十三代成務天皇が「乙卯」、仲哀天皇が「壬戌」、応仁天皇が「甲午」、仁徳天皇が「丁卯」、履中天皇が「壬申」、反正天皇が「丁丑」、允恭天皇が「甲午」、雄略天皇が「己巳」、継体天皇が「丁未」、安閑天皇が「乙卯」、敏達天皇が「甲辰」、用明天皇が丁未、崇峻天皇が「壬子」、推古天皇が「戊子」となります。
これらの崩年干支が、応神列の応神元年が390年、仁徳列の仁徳元年が397年、允恭列の允恭元年が433年、雄略列の雄略元年が457年に相当することを示し、さらには、確定紀年と延長紀年とを区別するための、重要な役割を果たしているのです。
続きは明日ね♡
コメント