仁徳列の仁徳元年が西暦397年であることを求める方法として、応神天皇の古事記崩年干支の394年に空位年の2年をプラスする方法のほかに、もう一つ、方法があります。
その方法についてお話する前に、日本書紀の編年には、他の国々の史書には無い不可思議な編年方法が採られていることをお話しなければなりません。
日本書紀の編年において、各々の天皇の元年は、前帝の末年の翌年に位置づけられています。
これは、たいへん奇妙なことです。それは、前帝が崩御されたその年に、通常、次帝は即位されていたはずであるからです。このような、不可思議な日本書紀の編年は、踰年称元法と呼称されています(一方、前帝の末年と次帝の元年が同じとする編年は、当年称元法と呼称されています)。
例えば、前帝の崩年が西暦A年であれば、次帝の元年は、当年称元法では西暦A年となりますが、日本書紀の踰年称元法では、A+1年となるのです。
続きは明日ね♡
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