応神三年条に百済の阿花王の即位についての記事が見えますので、これが『三国史記』において、何年のことであるのかを調べてみますと、西暦392年のことであることがわかります。
また、応神八年条に、百済の王子の直支の来日について記されてありますので、これも『三国史記』に実年代を求めてみますと、西暦397年となります。
さらに、応神十六年条に阿花王の薨去について記されてありますので、この年代も、『三国史記』から、405年であることがわかります。
どうやら、応神紀は、4世紀末から5世紀初頭にかけての時代を扱っていることが、わかってきたようです。このように、海外資料と比較すれば、日本書紀の編年の修正は、簡単にできそうに思えてしまいます。
ところが、ところが、ここからが問題であったのでした。
続きは明日ね♡
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