それでは、先住民は、どのような権利を持っているのでしょうか。後発的な国家の枠組みにあって、先住民の人々もまた、移民の人々と同様に自らの安全を生活を営むことになります。独自の外交や防衛、あるいは通商の権利は持たないにしても、文化や社会的な権利は、そのまま保持できる可能性があります。
ただし、これには、ふた通りの考え方があります。その一つは、固有のマイノリティー集団として、その文化や社会を保持してゆくことを認める方法です。言語や宗教、あるいは生活習慣がマジョリティと異なる場合にも、現地語の使用や教育が許されたり、コミュニティそのものが保護されたりします。もし、現在の定住地が、強制的に移住させられたものであったり、不便な場所であったりした場合には、経済的な支援を行う場合もあります。
もう一つの方法は、同化政策です。これは、もはやマイノリティとして生きるのではなく、マジョリティと同化することを意味します。この結果、固有の言語や宗教、あるいは生活習慣が失われることもあるかもしれません。後者の場合には、時間が経つにつれて、もはや、先住民のカテゴリーには入らなくなるケースも見られます(例えば、南米諸国のように混血進んだような場合・・・)。
こうした二つの方法の選択こそ、本当は、先住民自身が行うべきことなのかもしれません。また、個人のレベルで考えますと、二つの方法が同時に行われる可能性もあります(村はそのままでも、青少年の一部は都市へ移住するなど・・・)。先住民が存在している国は、移民国家が多いのですが、移民国家の多様性の中に溶け込んでしまう場合もありましょう。国家を持てず、あるいは、居住地を追われたという先住民の歴史を考えれば、不当に不利な立場にあってはならず、先住民の人々も、マジョリティと同じように、政治的にはその国の参政権を持ち、また、社会・経済的にも同等のチャンスが開かれていなければならないでしょう。
もし、先住民の人々の生活が、部族社会の時代よりもはるかに良いならば、新しい国家の中での生活のほうが本心からよかったと思うかしら、とまあちゃまは、こう尋ねてみたいと思うのでした。
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