反ユダヤ、反英を掲げて抵抗運動を続けるアラブ民族組織に対して、当初、イギリスは、武力弾圧を選択します。しかしながら、抵抗運動はおさまらず、ついに、別の決断を下しました。それは、パレスチナ分割案です。
イギリスは、1937年に、戦後の分割案のたたき台ともなった、最初のパレスチナ分割案を提案しました(1937年までの間に、パレスチナの土地の5.7%パレスチが、ユダヤ人の所有となっていました。)。つまり、パレスチナを、ユダヤ人とアラブ人と間で線を引きし、棲み分けを行おうとしたのです。この案によりますと、ユダヤ人とアラブ人の双方が独立国家を建設するとともに、キリスト教、ユダヤ教、ならびに、イスラム教の聖地であるイエルサレムは、国際管理に置かれるとされました。
最初の構想は、棲み分けであったのね、とまあちゃまは、この案の行く末がどうなるのか、関心を寄せるのでした。