世の中には不思議なことが多いが、格差社会の合唱もその一つだ。何年か前のマスコミの論調を思い出してもらいた。我が国は均一社会だの金太郎飴社会で、その改善なくしては、世界に伍して行けないと説いていたではないか。それが、今では政治屋やマスコミまでは格差社会の是正の合唱じゃ。確かに、ホリエモンを始めとして怪しげな億万長者を出たが、社会全体としては、それを格差社会とは云えない。地方と都市との格差というが、どのような格差なのか分からない。一人当たりの家の広さとか、車の保有台数とか、数え挙げれば切りがないほとの、格差が地方にはある。拙者も学校で、奨学金の審査をしたことがあるが、応募する学生の生活程度を見るに、農村出身の学生の親の税金の払っている額は、サラリーマンの約1/4じゃ。年収200万なら裕福な生活をしている。医療の格差というが、これも一人の人が占めている生活空間の広さが、これまた格違いであるからやむを得ない面がある。それをカバーするには工夫以外に道はない。格差格差と言っても国の財政からの制約があるから、都市とは同じにはできない。収入の格差というが、これは、教育の崩壊や、金太郎飴からの脱却の一過程ではないだろうか。