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2011年3 月22日 (火)

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古代史が好き

天照大御神が譲れといった葦原中津国は鳥取県北栄町にあった。

縄文海進から縄文海退にかけて瀬戸、原を入江の入口として西穂波、亀谷、灘手地区(津原、鋤、別所、尾原)、穴沢、穂波、原の海抜4mの線を結ぶと、天然の良港があったことがわかる。津である。縄文海退がすすみ、周辺は葦原になっていた。今でも葦が生えている。大和武(たける)の尊が大島に来られた時は、嵐を避けるために小型船に乗り換えて来られた(宮崎神社由緒より)。大島から縄文丸木舟が発掘されている。
 亀谷神社には木乃花咲也姫が住まわれ、もう少し山側(下種の大宮神社)にはニニギの尊が御所を建てられた。天孫はこの地域(葦原中津国)を目標に降りてこられた。穂波には一番の家来の天児屋根命がいた。
地図の貼り付けはうまくいかないので、みなさんで調べてください。

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